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石州瓦屋根の町並み景観探訪

24万石の城下町 松江

24万石の城下町、松江。慶長5年(1600年)関が原の戦いに勝利した徳川家康は、戦功あった堀尾吉晴を出雲24万石の大名に任じる。同年11月、堀尾吉晴、忠氏親子は出雲に赴任、現在の広瀬町月山富田城に入城します。

4年後の慶長9年新城松江城の建設を決定、慶長12年に城普請を開始、同15年城が竣工、翌16年には城下の武家屋敷も完成。

その後、松江藩主は堀尾から京極へと移り、寛永15年(1638年)信州松本7万石から松平直正が入城、以来明治維新まで徳川幕府の親藩として続きます。

日本の城は、幕末で338城、明治6年の太政官布達によって58城が存続されることになり他は廃城となりました。しかし残った58城も太平洋戦争で焼失したものが多く、現在古い天守閣をそのまま残す城は12しか残っていません。

松江城は残った12城の一つ。築城時期は江戸時代だが、その様式は桃山時代のものと伝えられます。

天守閣の屋根はいわゆるいぶし瓦。鬼は角が未発達で、鯱鉾木骨青銅張り、平部は本葺き。

城も城下町も、いまだ戦乱癒えぬ時代からか実戦に備えた堅固な工夫が随所になされています。

城の南東にあたる大手門の前の殿町や母衣町には、禄高1000石以上の重臣の屋敷を含んで、500石以上の上級家臣の屋敷が並んでいました。

外堀の北、東、南でコの字形を囲むように町屋が並び、北堀には重臣の下屋敷、100〜300石の中級武士の屋敷が、西堀の外側には150石以下クラスの武家屋敷が建てられていたようです。今日、武家屋敷通りとして多くの観光客を集めるのは北掘の武家屋敷群。北堀の武家屋敷のさらに北側にある町並みは町屋通りで、武家の暮らしを支えるための商人や職人が住んでいたものと思われます。

城の南、京橋川を隔て宍道湖に面する町末次は商工業の居住地で、末次町、芋町、片原町、紙屋町、鍛冶町、材木町、本町、魚町、茶町などがあります。

松江の家並みはいぶし瓦の景観でいわゆる城下町の風情そのものといわれています。

この地の瓦は石州瓦ではなく、地元で焼かれたもの。現在瓦窯元は存在せず、新築などはもっぱら石州の釉薬瓦が使われているがやはり銀黒系が多いようです。

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