岡山県は中国山地の中ほど、吉備高原の中に所在する備中吹屋の町。
戦国時代、江戸、明治、大正の長きにわたって西日本最大の銅山として栄え、江戸時代後期から昭和の初期までは良質のベンガラの産地として大いに繁栄した町です。
銅山は、明治期三菱の岩崎弥太郎経営の元最盛期を迎え、ベンガラの方は、ローハ製造御三家、ベンガラ窯元五家を中心に全国一の特産地に成長、昭和の初めまでその繁栄は続いたと言われます。
ベンガラは絵の具、染織り、陶磁器、漆器のほかに防腐剤など多様な用途に用いられる顔料。化学顔料が開発されるまでは吹屋のベンガラが独占状態だったのです。
吹屋の町並みは下谷、下町、中町、千枚によって構成されていますが、中でも中町のそれは素晴らしく、郵便局や雑貨屋などすべての建物が赤褐色の町並みに溶け込んでいます。建物はいずれも大きく、入母屋、切り妻、中二階、妻入りまたは平入り、白壁、なまこ壁、ベンガラ格子、赤褐色の石州瓦で町並みが見事に形成され、しかもほぼ完璧な形で今日に残されています。
伝統的建造物に指定されている建物も77棟を数え、保存にかける住民の想いと意気込みが感じられます。
吹屋の建造物の瓦は石州瓦。石州独特の赤褐色の屋根が、ベンガラ格子やベンガラを混入した壁など、町全体が赤褐色に染まる表情を見せています。
ところで、この吹屋の石州瓦、実は島根県の石州産地で造られたものではなく、吹屋の町で造られたものです。巨万の富を築いた吹屋の商人たちは、石州から瓦職人を招き、現地で瓦を焼かせ屋根に乗せたのです。
石州瓦の耐寒性が、冬ともなれば積雪と氷点下を大きく下回る吹屋の町に必要だったのでしょう。
また吹屋の建物は、石州瓦とおなじく石見の大工の手によるものが多いと言われています。あるいは石見大工が石州瓦をPRしたのかもしれませんね。