出雲大社は60年に一度本殿の大修造を行います。そのためにまずご神体を移す仮殿を建て、そこにご神体を遷座したあと、ご本殿の大修造取り掛かります。約64万枚もの桧皮葺きの大屋根の大改修をはじめ、構造体や造作など様々な部位や摂社、末社も5年をかけて点検され改修されていきます。
大改造の狙いはご神体の住環境の清浄化、建築物の維持継続、社殿建築の技術継承などがあります。
出雲大社の創建は神話の時代にはじまります。祭神の大国主大神は稲作を奨励し、鉄の生産や交易、病気治療、山河や海洋などの開発など多くの事業を展開され、地上に豊かな国『豊葦原(とよあしはらの)瑞穂(みずほの)国(くに)』を創られます。その国は、北は越後、東は信州、西は筑紫、南は四国にまで拡がっていたとも伝えらえています。
この地上の国を、高天原(たかまがはら)(天上界)に譲る際、高天原の天照大御神(あまてらすおおみのかみ)は『この国 (顕世)は我が子孫が治めていきます。大国主大神には神界(幽世)をお任せします。』
『その条件として、天は高く、基礎は深く、最も巨大な宮殿を建て、大国主大神の住まいとしましょう』と約束されます。
出雲大社はこの時に創建されました。 古代のそれは高さ96m 平安から鎌倉時代には48mもあったと伝えられます。
現在の高さは24m、延享元年(1744)に造営された社殿で、以来今日まで60年位に1度の遷宮を経て今日に至っています。
大国主大神は“ダイコク様”とも呼ばれ、縁結びの神様としての御利益が人気の神様です。
もともとは、高天原(天上界)の暴れん坊だった須佐之男命(すさのおのみこと)の子供(養子とも第6世とも伝えられています)として、地上に豊かな“国”を造られた神様です。
大国主大神は国造りの中で、稲作を普及し、お酒や乳製品の開発、牧畜や土木開発、温泉の発見と医療施設の整備、さらには鉄製道具の増産などまさに万能の力を発揮されます。
“縁結び”の“縁”とは、男女の結びつきだけでなく、この世のありとあらゆる“縁”をつなぐものであり、社会の理(ことわり)を司(つかさど)る“力”を示すものです。大国主大神の力の所以(ゆえん)がここにあります。
大国主大神が縁結びの神とされる現世的な理由として、妻神の多さがあげられる。
古事記には正妻“須勢理(すせり)姫”、因幡の白ウサギ伝説の“八上(やがみ)姫”、越(こし)(越後といわれています)の翡翠(ひすい)の女神“沼河(ぬなかは)姫”、筑紫の宗像(むなかた)三女神の一人“多紀理(たぎり)姫”、“神屋楯(かむやたて)姫”の5神の名がみえる。
昔の婚姻は妻問スタイル。この女神たちの住まい地からみて、大国主大神は越後や北九州にまで遠征していたことがうかがえます。古代出雲王国の勢力範囲とみることもできます。
陰暦の11月(現在は10月)、日本は神無月(かんなづき)になります。
しかし、唯一出雲地方だけは神在月になります。この時期全国の神様たち『八百万(やおよろず)の神々』がここ出雲にお集まりになられるからです。
すさまじい神様のパワーがこの地に集結します。
神々は、大国主大神の元、様々な“縁”について神議(かみばかり)(会議)され、向こう1年間の決まりごとが決済されるのです。
何かを願うならこの時が一番ご利益があるかもしれませんね。
最初の日、国譲りの舞台ともなった“稲佐の浜(出雲市大社町 出雲大社から徒歩10分)”で“神迎えの儀式”が執り行われます。深夜のお祀りです。海に向かって神職たちが大きな声で神々を呼ばれます。神々は龍の姿で現れるとのこと。必見の価値がありますよ。
集まられた神々は、出雲大社境内にある東西の“十九社(じゅうくしゃ)”に入られます。
神々の宿泊ホテルです。
地元の人は、この時期のお参りの際は、拝殿、本殿、摂社の他に、この“十九社”の一つ一つにも手を合わせお賽銭を供えます。
あふれるパワーをいただくわけです。
出雲大社の宮司は今でも“出雲国造(いずものこくそう)”と称されています。
そのはじまりは日本国誕生の時期と同じ、天皇家のはじまりと時を同じくします。
国譲りの時、高天原の天照大神より『大国主大神にお仕えするよう』命じられた天穂日命(あめのほひのみこと)以来この子孫が代々“出雲国造(いずものこくそう)”を務めてこられました。そしてこれからもそれは変わることなく未来へと継承されていきます。
出雲の国が、いまでも神寂びた神域である由縁の一つがここにもあります。