中世16世紀といえば世界は大航海時代。スペイン、ポルトガルなど欧州列国が世界の海に挑み、冒険と交易を繰り返した時代。
“プラタレアス”という、世界中に知られた名前があった。
“銀の島”、それが日本である。
大航海時代は、歴史上はじめて、世界の国と地域が交易という一つのシステムによって繋がった時代。異文化が交わるためには世界共通のシステム「世界中が認める統一商品≒貨幣」が求められる。16世紀においては、銀が世界の共通商品であった。
16世紀初頭、スペインが「日の没することのない大帝国」を築くことができたのはペルー、メキシコの銀鉱脈を手に入れたことが最大の要因と言われるように、 当時の列強は、銀獲得にしのぎを削っていたのである。
そのペルー、メキシコに遅れること半世紀後、銀産出の主役は日本に移り世界で流通する銀の1/3を占めるまでに成長する。そしてその大半が石見銀山だったのである。
石見銀山・・・。現在の島根県西部の石見地方に位置するこの遺跡は、大半が山と谷あいに眠ったままで、発掘調査されているのはわずか0.1%に留まっている。しかしながら、わずかばかりの発掘遺跡と、きちんと残されている近世の街並みが、往時の栄華の跡を偲ばせる。
石州瓦と石見銀山の関わりは江戸時代の初め頃から。石見銀山御料地が幕府直轄の天領となり、天領支配の町づくりがなされてからである。
現在の石見銀山大森の街並みは、西暦1800年の大森大火の後再建されたもので、石州の赤瓦で守られた日本近世の家屋群が見事なまでに残されている。