山陰地方島根県の最北端の岬、美保関。中海と日本海が交わる突端に位置するこの町は、古代より海上交通の要衝で、中世、近世、近代と永い間、物流の拠点として栄えたところです。
江戸時代に開発された北前船西周り航路からは外れていたが、帆船による地乗り船で、日本海沿岸航路の要港として活況を呈し、若狭、但馬、武蔵などの遠隔地からも船が集まっている。船問屋の数は元禄9年(1696年)38軒、宝永6年(1709年)30軒、嘉永3年には42軒ありました。
今、この町の中に入ると昔の細い路地のような道路が海岸線と平行に続いています。そんな細い道路の一部、美保関神社入り口の鳥居近くから入り込む路地は、青石畳通りとして整備され、旅館や旧廻船問屋の屋敷などが軒を重ねています。
古い家は江戸時代後期の建築だが、殆どは明治の建築物。
屋根の色は石州の赤瓦。帆船に乗って石見国から出雲の最北端の町まで石州瓦が運ばれていったことが想像されます。