島根県江津市の嘉久志町、敬川、神主、そして都野津町。この地名一帯が石見焼きと石州瓦発祥の地。
石見焼きは1763年、周防岩国藩から伝えられた作陶技術から始まり、水瓶など大型の陶器造りが特徴。特に“はんど”と呼ばれる来待釉薬をかけた赤褐色の水瓶がその代表的なモノで、江戸時代の後期から明治にかけ、凍てに強く割れないカメとして全国的にヒットしました。石見焼きの窯元を丸物屋とよんでいましたが、明治の最盛期の頃、石見の丸物屋は100軒を越えるほどだったといわれます。その石見焼き、平成6年に国の伝統的工芸品に指定され、現在は8軒の窯元が様々な日常雑器を作陶しています。
石州瓦は、こうした石見焼きの職人の手によって開発されました。江戸時代の中頃から後半にかけてのことだったと思われます。
石見焼きも石州瓦も、同じ粘土と同じ釉薬を使いました。また大型の石見焼きも石州瓦も大型の登り窯を必要としました。生産量の確保と1300度の高温が必要だったからです。
都野津の町は、焼き物と石州瓦の生産地として発展。町並みは当然、石州の赤瓦で彩られました。ごらんの写真は昭和30年代の都野津の町。写真中央の下に瓦工場、写真右上には登り窯を見ることができます。