日本書紀に曰く・・・
『崇俊天皇元年(588年)、百済国より瓦工四人渡来す・・・。瓦窯作工、生瓦作工、瓦焼き作工、瓦葺き工四名の瓦博士である・・・。』
遣隋使などによって中国大陸から日本への文化移入が盛んになった6世紀頃、仏教とともに、さまざまな文化・技術が朝鮮半島を経由して渡来してきました。
四名の瓦工は、日本ではじめての仏舎利建設のため、木工や画工といった多くの技術者たちとともに渡来したのです。
こうして588年に日本初の寺院飛鳥寺(現、元興寺)が建設されるのですが、その屋根はもちろん瓦でなくてはなりませんでした。
さらに607年には国内の瓦工による国産瓦で葺いた法隆寺が完成、以降は日本独自の瓦文化がスタートしていきます。