寛文12年(1672年)河村瑞賢によって開拓された日本海沿岸を結ぶ新輸送システム北前船は、春先大坂を立って瀬戸内海、下関から日本海を北上、江津の波子や石見銀山天領地の温泉津、出雲大社鷺浦、境港、福井の敦賀、三国、石川県の輪島、新潟の直江津、柏崎、両津、山形の酒田、秋田、能代、青森などに寄港して夏ごろに北海道の松前、江差、函館などの港に入ります。
帰路は、夏のうちに北海道を離れ、冬前までに大坂に帰る行程でした。
北前船の主荷物は、行きは米、古着、木綿、稲俵、帰りは鰊、昆布でしたが、途中の寄港地で地方の産物を仕入れたり、荷物を販売したりしながら、最終目的地を目指すもので、各寄港地では、回船問屋が成長し、おおいに繁盛したといいます。石見地方では、現在の大田市温泉津温泉が往時の面影を残す街並みとして伝統的建築群の指定をうけています。
北前船で運ばれた石見地方の産物は、石見焼き、石州瓦、和鉄など。出雲地方の銅、黒松、隠岐の干し鮑など。
いずれにしても北前船の一航海(往復)で1000両が儲かった(行きは300両、帰りは700両)と言われており、まさに宝船だったようです。