大きなモノで、5斗入りの甕(かめ)も作られた大型の石見焼き。今では国の伝統的工芸品に指定されているこの作陶技術は、江戸時代の中頃に基盤が整備され、それ以降、明治、大正を経て、昭和は戦後の一時期まで(ブリキのバケツやプラスチックのポリ容器が出回るまで)、石見焼きの水甕は(はんど)という商品名で全国に出荷されました。寒さに強く、凍っても割れない水甕は当時貴重な水の保存器であり、酸やアルカリにも強い品質は、味噌造りや梅干などの保存、穀物の保存などにも適していました。
そして、それら丸物を作陶していたマルモノ師たちが、瓦造りに挑戦していきます。
瓦に釉薬を施すこと、そして大型の丸物の焼成に作られていた巨大な登り窯の活用。石州瓦という(はんど)と同じ性質の、凍てに強く、丈夫で割れない瓦の誕生です。