さて話を登り窯時代に戻します。凍てに強く丈夫で割れない水瓶(はんど)と石州瓦は、江戸時代の後期から明治にかけて、北前船によって日本海沿岸の地方に運ばれていきます。
はんどと石州瓦の集積地は江津の波子浦。北風をさえぎる大崎鼻の元小さな船着場を持つこの地は、江戸後期から明治・大正・昭和の戦前まで、石見焼きと石州瓦を全国に販売した問屋や大仲買人を輩出しました。最盛期には波子の仲買人の持ち舟は100隻を超えたといわれます。
江戸時代、この地は石見焼きや石州瓦だけでなくたたら事業、いわゆる和鉄の生産も盛んで、その輸送にも北前船や地元船が一役かっていました。
現在、その波子裏は、赤瓦の漁村集落の景観を見事に残しながら、今なお人々の暮らしの舞台となっています。